|
  
- 积分
- 107660
- 威望
- 41024
- 金钱
- 6
- 阅读权限
- 130
- 性别
- 男
- 在线时间
- 3126 小时
|
35#
发表于 2007-3-15 08:22
| 只看该作者

邓小平秘录:邓已无退路 天安门清场7 @1 ]4 I- u; i$ c: \! g
(中央社记者张芳明东京十五日专电)日本“产经新闻”连载中的“邓小平秘录”今天报导,邓小平面对天安门广场的民主示威运动表示已无退路,指示在一九八九年六月二日晚上由戒严部队开始实施清场计划,在两天之内完成这项作战。
; p+ f9 u: I6 W8 v
9 f, ^. K* S- g+ @# w秘录报导,“邓小平年谱”并无记载一九八九年五月二十一日至三十日的行动,张良编著的“中国六四真相”指出,五月二十七日,中共召开元老会议,决定由江泽民接替下台的赵紫阳就任党总书记,除江氏外,李瑞环和宋平也升任政治局常委和李鹏、乔石及姚依林构成六人体制。江泽民于五月三十日被叫到北京,三十一日被邓小平任命为下任党总书记。人在德国 社区3 y) p4 L5 r3 D3 b* f1 S
元老会议两天前的二十五日,新华社香港分社主任许家屯在中南海和国家主席杨尚昆会谈。杨表示赵紫阳后任尚未定,但不会是李鹏。他并指出,邓小平表示已无退路,决定选择戒严令,动员军队平定动乱,希望许家屯支持。许一时不知如何回答,随后表示即使动员军队也不应流血。杨立刻表示,不会有流血事。5.35.249.647 s1 E* C1 }' h7 Y; S- O
& A3 Y# z4 i v. g7 `5 L: o# U
“真相”报导,二十七日的元老会议,就平定“动乱”作战讨论实施时期时,杨尚昆主张不宜再拖下去,但绝对应避免流血。陈云主张虽应极力避免流血,但五月底宜解决问题,邓小平也表示不可再拖下去。
4 g* O* w, Y" p/ P7 t2 z! a5.35.249.64! G2 s; U( c& S( Q% M
五月三十日,中用美术学院学生制作的“民主女神”树立在天安门广场,受到市民瞩目,但是静坐的学生已减至五千名,在大学重新开课之际,学运由于内部分裂而逐渐消失。北京师范大学刘晓波等提议展开接力绝食的持久战,; L! q' E5 z8 V
. N) u. ?8 ?7 `& |( x) q; k4 t ?5.35.249.64包遵信在著作“六四的内情”指出,他本人反对刘晓波的建议而王军涛则表示赞成。六月二日傍晚,刘晓波和台湾歌手侯德健等四人开始绝食,广场恢复了失去一段时间的热烈气氛。( Z" x4 E% W4 Z5 H
) ^7 e3 N1 P1 e“真相”指出,二日上午,邓小平等六名元老和李鹏等三名政治局常委召开会议,李鹏说明天安门广场的现况后,元老们激怒,首先放炮的是王震,要求逮捕反革命份子。李先念也强调一刻都不可再拖,提议当天晚上开始清场。最后,邓小平表示赞成大家的意见,提议“戒严部队指挥部今晚开始实施清场计划,两天之内完成。”6 x, n8 g) w) M0 c5 g" n; y1 _
4 o, s8 z# y; x
【トウ小平秘録】(29)第1部 天安門事件 平定作戦 , I$ P4 t- _* t/ Y
■既に退路はない 人在德国 社区 Y% H' t! B% }& y. W( i5 B
/ s- a1 W5 l/ [6 @, ~3 b トウ小平(しょうへい)氏の言動に関する公式日誌である「トウ小平年譜」には、天安門事件前の緊迫した状況下にあった1989年5月21日から30日までの記載がない。この空白の10日間に、政治局常務委員会の新体制と学生デモに対する武力行使方針が決まった。いずれも長老会議という密室談合の結果だったため、記載しなかったようだ。, ~! e* V8 h0 L2 f
Y$ b N8 e3 O6 e' S8 b6 P7 c 張良編著「中国『六四』真相」(以下「真相」)によると、5月27日夜、長老会議が開かれ、指導部人事が話し合われた。趙紫陽(ちょうしよう)、胡啓立(こけいりつ)両氏の失脚で指導部の再建が急務だった。21日の会議では、趙氏の後継総書記候補に、李鵬(りほう)、喬石(きょうせき)両政治局常務委員(肩書は当時、以下同)と江沢民(こうたくみん)上海市党書記(政治局員)が挙がっていた。
0 f/ }( H$ V/ Y2 z ~5.35.249.640 O& ~/ a% Y5 G! }) I
そのときは意見を保留していたトウ小平氏がこの27日の会議で陳雲(ちんうん)中央顧問委主任、李先念(りせんねん)政治協商(政協)会議主席が推していた江沢民氏を「適格と思う」と発言、李鵬氏を推す王震(おうしん)国家副主席、喬石氏を推すトウ穎超(とうえいちょう)前政協主席も同意し、江氏に決まった。
* b. A7 `6 K) w- [* X7 x/ h
2 ]7 g2 g3 Z; ] 政治局常務委員には、江氏のほかに李瑞環(りずいかん)天津市党書記、宋平(そうへい)党中央組織部長の両政治局員が昇格、李鵬、喬石、姚依林(よういりん)3氏と合わせ6人体制になった。
1 ?5 C. b: U$ W* G8 m0 u4 g人在德国 社区
7 h/ E$ l. Z, K' R2 G) Q この会合の冒頭、トウ小平氏はこう話している。( |: {7 N* h# S% C8 h$ l' X
0 v/ ?9 t; U2 c! X
「新指導部は改革・開放を真に実行し、人民の信頼を得なければならない。改革・開放を堅持すると人民が認める人物を大胆に起用し、われわれが誠心誠意、改革・開放を実行する気だと人民に感じさせねばならない」/ t i3 g* q H5 \& w+ ?# z
- g) Q/ J/ c7 \/ x: O% n; o
トウ氏の頭は既に、動乱制圧後に飛んでいた。改革・開放を継続することで国民の信頼を回復する。それには、不人気の李鵬氏ではなく、「新しい顔」が必要だった。
) y0 ~, s, Z9 G6 |
5 s) Z* N- P! N, E$ D& N 江沢民氏は5月30日に北京に呼ばれ、31日、トウ小平氏から次期総書記を命じられる。トウ氏は続いて、李鵬、姚依林両氏と会い、改革・開放を徹底、腐敗を撲滅し人民の信頼を得るよう話した後、次期総書記に江氏を決めたと告げ、一致協力するよう指示した。
! G% |; q, D& s: g5.35.249.64
( h- I1 J8 w( I 《「トウ小平年譜」は、李、姚両氏への講話を掲載しているが、江沢民氏との面談の記述はない》
+ ^' \& G; ]0 p% {6 k0 F& U' ?5 r% g& \6 m" w
長老会議2日前の25日、新華社香港支社長の許家屯(きょかとん)氏は中南海で、楊尚昆(ようしょうこん)国家主席と会う(「許家屯回憶録」)。人在德国 社区0 Q) R3 T9 g4 W, v. s' G
4 Q5 W/ B. a& |6 Z( s) p5.35.249.64 楊氏は趙紫陽氏の停職を告げ、後継者は未定だが、「李鵬はありえない」と断言した後、言う。" o# p! e' H8 j$ A
$ _9 v+ T7 F( O. Z! H6 J5.35.249.64 「トウ小平同志は、既に退路はないと話し、戒厳令を選択、軍を動員して動乱を平定することになった。党中央の決定を支持してほしい」
9 ^* @1 i+ W4 z$ y人在德国 社区人在德国 社区$ y2 M; z4 O* k# u
許氏はしばらく言葉を失った後、言う。
0 m( x. K* l; E, m. L, H' N a' s7 I/ i+ m
「軍を動員しても、万が一にも流血はだめですよ!」! }, ]# t) I9 J9 D
' g# b: }3 \4 U3 v5 G
楊氏は即座に「それはない、それはないよ」と言い、こう続けた。# f# O% d, y# c* x0 D
+ @3 r7 e- ~. @3 E" R! ~
「徐向前(じょこうぜん)、聶栄臻(じょうえいしん)両元帥も同じ意見だ。彼らは既に中央に(流血回避の)意見を出している」5 _4 W! T8 v9 t; C. d& l: @2 M
[; x) `6 E t7 ~
《55年制定の軍階級制で最高位の元帥に選ばれた10人中、徐、聶両氏のみ健在だった。両氏は武力行使に反対と伝えられたが、当局はデマと否定していた》/ v8 P7 p' Z; L- ]0 z) k! W
2 m. A: t# O+ r3 @# G$ M: |) V4 a9 l 「真相」によると、5月27日の長老会議で、「動乱」の平定作戦の実施時期が話し合われた際も、楊尚昆氏は「いつまでも引き延ばせないが、流血は絶対に避けるべきだ」と主張した。人在德国 社区/ ?' h. d8 c) N0 T) q! J6 B
% h8 [9 `" e: f 陳雲氏は「流血は極力回避すべきだが、5月末には解決するよう」主張、トウ小平氏も「これ以上引き延ばせない」と述べ、政治局常務委員会に迅速な秩序回復を要求した。# X0 [7 E2 A3 z- J, q/ f
5.35.249.64( Q/ b* ^6 k6 Y/ @ l
天安門広場では5月30日、中央美術学院の学生が作った「民主の女神」像が立てられ、市民の目を奪った。しかし座り込み学生は5000人に減り、大学が授業を再開する中で、学生運動は内部分裂し、消えかかっていた。人在德国 社区$ J, b5 g: |' \- [! H9 i
1 x" D; S6 J' S y* k! _5.35.249.64 それを立て直し持久戦をやろうと考えた知識人がいた。北京師範大講師の劉暁波(りゅうぎょうは)氏らだ。劉氏は社会科学院副研究員の包遵信(ほうじゅんしん)氏や北京社会経済科学研究所の王軍濤(おうぐんとう)氏らに、リレー式で絶食をやる計画を持ちかける。9 A- k6 y5 b* d8 t6 F
5.35.249.645 o! Y2 v' r. u9 |! g
包氏の著書「六四的内情」によると、包氏自身は、この計画に反対だったが、王軍濤氏は賛成した。そして6月2日夕、劉暁波氏、台湾の歌手、侯徳健(こうとくけん)氏ら4人が絶食に入り、広場は久しぶりに熱気に包まれた。5.35.249.643 Y; G* H9 P( |2 C
4 V: g+ R T W) [7 J) f! U7 U, Z+ q その日の午前、トウ小平氏ら長老6人と李鵬氏ら3人の政治局常務委員が会議を開く。李氏の状況説明に長老らは激怒する。第一声を放ったのは王震氏だった(「真相」)。
, b# u- D7 ? O* V! Z- y" y* a7 a6 M1 ]% h G# `& ~& J5 L$ n
「くそ餓鬼どもめ。神聖な天安門広場をなんだと思ってるんだ。解放軍は何をしてる。反革命どもをとっ捕まえろ」
' r1 s: H, w( G7 g. F5.35.249.640 o( B) y5 R5 @1 _) p
李先念氏が一刻も猶予ならないと強調、「今晩から『清場(チンチャン)』(天安門広場からの学生一掃)を開始しよう」と提案。最後にトウ小平氏が言った。5.35.249.64( L! h' X5 ? x! U9 y- V
2 o7 N! L$ H e8 O5 K" e6 t2 c
「みんなの意見に賛成だ。戒厳部隊指揮部は今晩、清場実施計画を開始、2日間で完了するよう提案する」(伊藤正)人在德国 社区1 P& A# c2 @' I& b1 ~5 ]- [
0 w d- t; N9 D ◇
5 x6 L8 ^, g3 G( K, M* q( t7 X
4 v1 S2 y& Z5 X【用語解説】軍階級制
; ]2 Q" Z4 j' A" R$ d3 t* x- \
$ J4 K: x7 K8 `" N. @ 1955年に導入されたソ連式の階級制度。革命の功労度により、元帥、大将各10人、上将57人、中将177人、少将1360人以下、全軍人が階級付けされた。66年に廃止されたが、88年に復活。新制度では元帥、大将はなくなり、上将が最高位に。徐、聶氏以外の元帥は、朱徳、彭徳懐、林彪、劉伯承、賀竜、陳毅、羅栄桓、葉剣英の8人。
; l u3 {% E8 J. n3 f* y: s5.35.249.640 i+ ]% F7 R' j; D2 Z
(2007/03/15 )" W9 U5 ~8 T' Q6 L! m' K- U# ?
S: o- o. z) b. R) G3 [
$ j* m- E |0 ], j' O. Y' s, |
5.35.249.64: P9 Y9 v3 X+ g. O7 B
1989年5月30日、天安門広場に学生たちが作り上げた「民主の女神」像。米国の自由の女神像をモデルにしたという |
|