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发表于 2007-2-18 10:52
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邓小平秘录:搜集反党证据展开新反右派斗争
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日本产经新闻今天连载的「邓小平秘录」报导指出,邓小平认为专制手段的必要性,并经由搜集反党活动的证据而认为反右派斗争有其必要。
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文中指出,邓小平在一九八六年十二月三十日向当时的党总书记胡耀邦和总理赵紫阳等六名中共党领导人物指出,必要时非采取专制手段不可,这项谈话宛如邓小平针对一九八九年天安门事件决定武力镇压的状况而言。, L) N. L% N, j
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报导说,邓小平是针对中共领导阶层对安徽合肥学生示威的处理态度软弱加以批评,胡耀邦于一九八七年一月遭解职,方励之、王若望和刘宾雁三人遭开除党籍,当时包括方励之等三人在内,有约五十五万名右派份子遭迫害,斗争的指挥者是邓小平。7 d7 q9 f( B2 d+ ]7 _
$ A) d3 i! {$ v& P: s! m9 N 一九七八年开始每年有九成九以上的受迫害者恢复名誉,当时从事重新评价的是党组织部长胡耀邦,邓小平批评领导阶层的谈话显示出他对自由化思想的严峻态度。, `1 F4 S- Z% a7 S3 I) q, e
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根据一九八九年天安门事件后现身的北京市党委书记陈希同报告等资料指出,当时党全力搜集知识份子在集会中的言行及大学内发现的传单,作为策动动乱和组织准备的反党活动证据。
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% [6 B: h3 B3 L! @! d2 D 邓小平接获报告后认为反右派斗争是正确的作法,有必要新的反右派斗争。中央社; i1 s8 L2 {+ E. n( G$ W
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/ n% z1 \+ J3 J' U【トウ小平秘録】(5)第1部 天安門事件 反右派闘争人在德国 社区* i0 F* Q) j+ j, s& h
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■必要なら専制手段使う
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「専制手段は、必要なときには使わねばならない。使うときは慎重にすべきだが、もしだれかが流血事件を起こしたらどうするか。こちら側にけが人が出ても、事を起こした刑事犯は法により処理する。その決心がなければ、今度のような事件は制止できない。何の措置もとらなければ、われわれは後退し、面倒がさらに増える」(「トウ小平文選」第3巻)
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C. K" ~) s1 f2 D- e2 _% @人在德国 社区 1986年12月30日、トウ小平(しょうへい)氏は胡耀邦(こようほう)総書記、趙紫陽(ちょうしよう)首相(肩書は当時、以下同)ら6人の指導者に対し、こう話した。
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この談話は、あたかもトウ氏が大衆行動への武力鎮圧を決断した天安門事件(第2次、89年6月)直前の状況について語ったようにも響く。8 f5 E1 o6 |$ O4 G5 a8 t5 x( I
# O$ j/ Q- L; E* t- g2 @8 Y人在德国 社区 談話は実際には86年の12月5日、安徽省合肥で始まった学生の民主化要求デモが上海、北京、武漢などに飛び火、指導部の軟弱な対応を批判したものだ。 T) B1 X M$ X7 J/ ]) _: v% p
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そして胡氏は翌月解任、トウ氏がこのとき激しく名指し批判した天文物理学者の方励之(ほうれいし)中国科学技術大副学長と作家の王若望(おうじゃくぼう)、劉賓雁(りゅうひんがん)両氏の3人(方氏以外は故人)も党を除名された。人在德国 社区+ B) V5 q& Y5 d" w6 x# z
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この中で注目されるのは、毛沢東時代の重大な過ちとされている57年の反右派闘争についての発言。トウ氏は「ブルジョア階級右派に反対する闘争」と呼び、「やり過ぎた点は正すべきだが、われわれは全面否定はしていない」と話している。
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7 w% G( J& W' X+ k' B, M 当時、約55万人が「右派分子」にされ迫害を受けたが、除名された3人もその中にいた。総書記だったトウ氏が闘争の指揮を執ったことで知られる。2 Q( g1 R# f* X
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78年から見直しが行われ、99%以上が名誉回復された。見直し作業を進めたのが、当時の党組織部長、胡耀邦氏だった。3 K& K- A* R1 I5 H& |
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トウ氏の談話は、自由化思想への厳しい認識にあふれている。+ ?1 h% _" v \. S
, f! i) X# K6 j3 p9 E5.35.249.64 「自由化して党の指導が否定されたら建設などできない」5.35.249.64% ?: a% m2 Z" b5 i
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「少なくともあと20年は反自由化をやらねばならない」
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だが、長い試練を経てきた3氏がひるむことはなかった。特に方励之氏は、さらに活発に動き、反体制色を強めていく。「中国のサハロフ」と呼ばれ、国際的知名度は抜群。招かれて外国に行ったり、国外で著書を出したりと、休むことがなかった。人在德国 社区- S( m) N$ n" D- E
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反党活動の証拠収集/ o" g% l9 T0 ~5 G4 N
- ~" b* N W3 q# s; _ 天安門事件(第2次、1989年6月)当時、中国社会科学院歴史研究所副研究員だった包遵信(ほうじゅんしん)氏(事件後、懲役5年に服役)は、89年1月28日に北京の都楽書屋の「新啓蒙(けいもう)サロン」で方励之氏の発言を聴いたときの衝撃を、台湾で出版した「六四的内情」に書いている。
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?* U9 }' T! z* @, X+ u* J 方氏は、これより先、トウ小平氏に民主活動家、魏京生(ぎきょうせい)釈放を要求した目的を「人権問題が闘争目標」と説明、それには「党外、体制外から闘い、実際行動に出るべきだ」と強調していた。
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9 m: T# s5 y. {% a 「扇動性が極めて大きかった。会場は寂として声なく、拍手も起こらなかった。重爆弾を頭に受けたようだった」と包氏は書く。
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' s% |" C ]( q, w その会合には、元毛沢東秘書の李鋭(りえい)氏、人民日報の元社長、胡績偉(こせきい)氏ら長老のほか、著名な改革派知識人が多数参加していた。彼らのほとんどは後の「89民運」(胡耀邦氏死去後の民主運動)を支援、自らも参加した。しかし、この時点では党外闘争や街頭行動までは念頭になかった。0 z- s$ f) ? g9 M. w3 j
' x1 f7 L2 x+ B* A* @4 [1 o5.35.249.64 天安門事件後に出た陳希同(ちんきどう)北京市党書記の報告など各種の資料では、この時の会合を含め知識人の言動や大学構内のビラを収集し、それに基づいて動乱画策の思想的、組織的準備をしていた「証拠」にしている。
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陳報告のごく一部の要約を紹介すると-。
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「88年12月7日、『走向未来叢書』副編集長の金観濤(きんかんとう)は北京大での討論会で『社会主義の試みと失敗は20世紀人類の2大遺産だ』と述べた」
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4 l" @$ W3 U1 `# N }人在德国 社区 「89年3月1日、清華大と北京大に『トウ小平討伐の檄(げき)-全人民に告げる書』という大字報(壁新聞)が同時に出、『4つの基本原則』を廃止せよと要求」1 S: c7 K' q0 D% e$ m
4 y8 X: ]3 {6 N4 L3 J9 r4 | 「4月6日、北京大の大字報は『社会主義にはまだ存在の理由があるのか』『マルクス・レーニン主義はわが国の国情に合わない』と書いた」5.35.249.64+ Q: z2 l; @7 F
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「北京の大学には、『民主サロン』『自由論壇』などが次々と登場し、北京大生の王丹(おうたん)が主宰する民主サロンは1年間に17回も講座を開催した」
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言論・表現の自由がある国なら、問題にもならない話ばかりだ。ところが、中国当局は紙切れに書かれた共産党や指導者批判も見逃さず、反党活動の証拠にする。
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5 P; c, ?+ p# O+ i それらの報告を受けたトウ小平氏は「反右派闘争は正しかった」と思ったに違いない。新たな反右派闘争が必要だ、とも。(伊藤正)
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■反右派闘争 56年の「百花斉放・百家争鳴」(表現の自由化)で噴出した共産党批判に対し、57年から毛沢東主導で始まった知識人弾圧のこと。職場に「右派分子」摘発を強制するなどして闘争が拡大、数々の冤罪(えんざい)を生んだ。81年の「歴史決議」では、対象の拡大化は誤りだったが、党・社会主義攻撃への反撃は正しかったとしている。2 f7 K J2 ]9 g6 h- [, e$ `
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- _! X! q0 {* H+ M8 t1 B1989年2月、訪中した米大統領主催の宴への出席を中国当局に阻止され、北京市内の自宅で外国報道陣の取材に応じる方励之氏(右)と李淑嫻夫人
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「大躍進時代」の1959年、毛沢東党主席(左)の側近だったトウ小平氏
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