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中央社东京十五日专电人在德国 社区: |4 b3 B' j: n* E' L, m& a* T
* v+ D4 K" [& W: x日本产经刊登「邓小平秘录」序言
& \6 O& T, Y: i+ W7 t1 r. I日本产经新闻14日刊登「邓小平秘录」序言,揭开预定从15日开始连载的中国已故领导人秘录的序幕,这家日本报社将分成6部分进行连载,由分析邓小平镇压中国民众的「天安门事件」背景开始叙述有关邓小平的秘辛。
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: E6 n! @, G2 q- M1 W, v: O( w 产经在序言中简述邓小平的生平指出,合理主义者的邓小平和孤高自持的革命家毛泽东成为对比,邓小平在遗言中显示,不愿意重踏毛泽东的覆辙。他在1978年主导的改革开放政策被称为中国的「第二次革命」,毛泽东发动的大跃进在1960年代造成好几千万人饿死,邓小平则同意农民的部分个人生产,他著名的「白猫黑猫会抓老鼠的是好猫」,就是当时的名言。 5.35.249.64: G& r1 `' F: }8 h
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序言指出,中国在邓小平的改革开放下,以计画经济和公有制为支柱的社会主义原则逐渐被破坏,引进的是资本主义原则和手法,中国人民从毛泽东晚年时的物质贫困和精神压抑下解放,追求丰足和自由成为第二次革命的精髓。
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文中形容邓小平是富有构想能力的现实主义者,改革开放初期在深圳等设立四个经济特区,作为市场经济的实验场,并对香港制度提出维持现状的「一国两制」,成功恢复对香港的主权并作为呼吁两岸统一的武器。 5.35.249.64" y0 |+ M$ G6 k; m* [: P; n$ L; P& u
+ t7 `' j! P; D# d- I 序言指出,邓小平的一贯主张是,迈向「共同富裕」的步骤是让部分人先富起来的「先富论」,这种主张一方面为中国带来急速的成长,但另一方面也造成贫富悬殊的扩大和腐败的蔓延,「先富论」产生的矛盾已成为极严重的问题。
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) u, C6 I; B) s" h6 c3 s9 n3 a 文中指出,邓小平在经济上虽是突破社会主义框架的革新派,但在政治上则是断然的保守派,他和路线敌对的陈云等中共元老避开对立,立于元老政治的顶点发挥影响力,这是扔掉有意进行政治改革而和元老对立的胡耀邦和赵紫阳的理由。
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: [3 p; w! k8 y e. h; d序言指出,江泽民和胡锦涛师承邓小平路线,目前的中国对扩大矛盾的改革开放提出反省,而出现赞美毛泽东的声音;但另一方面,政治改革和民主化的要求也在升高,「邓小平」仍是中国现实政治的中心。 ) z0 }3 y5 _* T' [- h! N9 w
/ u- C1 N) H2 m+ h! t 序言最后指出,邓小平渡过战争、革命和斗争的中国现代史,对他而言,一生最大的危机是天安门事件,天安门事件和文化大革命在不同的意义下是现代中国矛盾的爆发,也是重大历史的转捩点。
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【トウ小平秘録】プロローグ(1)改革・開放の総設計士人在德国 社区$ G4 u( Y) Z; A( q' _
7 k) `3 J2 W2 b3 `. {+ r3 ~' | Q人在德国 社区中国の経済発展を導いた「改革・開放の総設計士」トウ小平(しょうへい)氏が92歳で死去したのは1997年2月19日。告別式は行わず、遺体は解剖後火葬され、胡錦濤(こきんとう)政治局常務委員(現国家主席)が3月2日、遺灰を空中から東シナ海に投じた。
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8 w+ e( I. Y7 ^% C1 Y5 C" b9 H毛沢東の轍は踏まない
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死去の4日前、卓琳(たくりん)夫人と5人の子供が党中央に書信で伝えたトウ氏の「遺志」による措置だった。書信は「小平同志は徹底的な唯物主義者であり」「一生を余すところなく祖国と人民にささげてきた」とし、最も質素かつ厳粛な方式で哀悼の意を表すよう要望していた。人在德国 社区8 l0 S( ~- } N
( A0 V, s. {% X7 T; E! X 合理主義者のトウ氏らしい遺言だった。毛沢東のようにはされたくないと思ったに違いない。毛の権威を必要とした後継グループの決定で、毛の遺体は天安門広場の記念堂に安置、参観者に公開されている。が、トウ氏もまた、静かに眠り続けることは難しかった。$ S3 B2 Y; m+ ^1 s
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トウ小平氏は16歳でフランス留学に旅だって以来、四川省広安の実家に一度も足を向けなかった。49年の新中国誕生前後は同省を管轄する西南局の第1書記を務め、中央に転じた50年以降も5度同省に赴いているが、家族でさえ89年に三女のトウ榕(よう)氏が訪れたのが初めてだった。1 w4 k7 c, j2 J8 k
5 g2 `$ w% a. c, q' j! g* z1 | 仏留学時、「二度と戻るな」と命じた父親の言葉を守り抜いたとの説がある。頑固な性格から出た説だ。
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# U: \- i- W2 p0 }- z トウ氏は個人崇拝を嫌悪、「公平、無私」をモットーにし、出身地の利を図る傾向を批判してきた。だから地元政府からの故居改修の申請に同意せず、各地から相次いだ記念館や彫像を建てる申請も拒否し続けた。7 o0 o' W5 h& r0 j* a/ A" q
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しかしトウ氏の死後、故居は修築され、広壮な記念施設に変わった。彫像や記念館が各地に誕生、江沢民(こうたくみん)前国家主席が看板などの揮毫(きごう)をしている。
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トウ氏の生誕100周年の2004年、胡錦濤政権は盛大な記念行事を挙行、大量の文章や映像が発表され、「偉大なマルクス主義者」との賛美一色になった。一党独裁を堅持し、経済発展を図る正当性を訴える上で、トウ氏の理論と名声は政権に欠かせない。* `5 \* U" a0 a# Q2 q5 D; H* q; v
- z% ^, l- {6 J. L だが、家族や関係者の証言からは、家族を大事にし部下や仲間の面倒見のいい人柄が浮かび上がる。それは孤高の革命家、毛沢東とは対照的な常識人の姿だった。1 y5 A! `$ j% Z% E/ s, b2 I6 x
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トウ氏の主導で78年に始まった改革・開放は、毛沢東革命になぞらえ、「第2の革命」と呼ばれる。両者は富強の国家を建設、国民を豊かにする理想では一致していたが、毛沢東が、社会矛盾の解決を階級闘争に求めたのに対し、トウ氏は経済建設こそ先決と考えた。
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/ F6 j$ R3 O0 D8 o T5 l 共産主義化をあせり毛沢東が発動した大躍進政策が失敗、数千万の餓死者が出た60年代初め、トウ氏は食糧増産のため、部分的な個人生産を農民に認めた。「白猫でも黒猫でもネズミを捕る猫はいい猫だ」との有名な言葉はその時のものだ。
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改革・開放は「猫論」の復活だった。計画経済と公有制を柱にした社会主義の原則は次々に破られ、資本主義の原理や手法が導入された。毛沢東晩年の物質的貧困と精神的抑圧から人々は解き放たれ、中国はみるみる活気を回復した。人在德国 社区0 s: ^0 i: {( J* b& C0 X/ C
' e) \7 ^6 Q2 Q9 ^; G 豊かさと自由-だれもが求める常識人の感覚こそが第2の革命の神髄だった。: h" b3 Y6 ?0 {1 j) @. x
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矛盾生んだ「先富論」
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トウ小平氏は着想力に富んだ現実主義者だった。改革・開放の初期、深センなどに4つの経済特別区を設け、市場経済の実験場にしたり、19世紀末以来、英国の植民地だった香港の制度など現状維持を認める「1国2制度」というアイデアを打ち出し、主権回復に成功したりした。5.35.249.64 Z: [- ^8 z. N) N6 V9 D. w, v
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それは、台湾への統一呼びかけの武器にもなっている。
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" S9 x8 O& [3 f D4 g( I4 v- W人在德国 社区 1993年9月、トウ氏は弟のトウ墾(こん)氏と会話している。トウ氏は、天安門事件(89年6月)後間もなく引退したが、事件後に保守回帰が強まると、南方視察に出て、改革加速を号令する南巡講話(92年)を発表、経済を成長軌道に戻すのに成功していた。) p) a3 G1 C5 l8 T: _& o- s
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トウ小平年譜(2004年、中央文献出版社)によると、弟との会話の中で、トウ氏は、江沢民政権に満足の意を表し、「国が発展し、豊かな国の一公民になればよい」としながら「引退してもやることがないわけではない」と述べている。89歳にしてなお「社会問題を観察し、意見を言う」必要を感じていたのは貧富の格差への懸念からだった。5.35.249.64, a' Q- i! F- u, {. R
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「富をどう分配するかは大問題だ」
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8 t; R* D7 m4 t 「この問題の解決は発展を図るより困難だ」
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「一部の人が富を得て、大多数が持たない状況が進めば、いずれ問題が起こるだろう」
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& H% x, E" W z+ s3 S人在德国 社区 トウ氏の持論は、「共同富裕」へのステップとして一部の人が先に豊かになる「先富論」で、南巡講話でも力説していた。それは急成長をもたらした半面、格差の拡大と腐敗の蔓延(まんえん)も招いた。今日、先富論の生んだ矛盾ははるかに深刻になった。( U* E: |4 K( `$ n3 c4 L( u% x
% u' A5 P: a: k6 h" M3 S$ R% [" t トウ墾氏には、79年に打ち出した社会主義の「4つの基本原則」を、社会主義市場経済の優越性と自賛している。4原則と改革・開放が、トウ小平理論の2つの根幹だ。しかし国際化、情報化が進み、国民の生活も意識も急変する一方で、それに呼応した政治改革を4原則は妨げてきた。人在德国 社区; [! {6 Y+ K& Z& j7 _( F
) J$ W8 ?: L! N9 Y- n人在德国 社区 経済に関しては、社会主義の枠を突破する革新派だったが、政治に関しては確固たる保守派だった。理論面にとどまらない。トウ氏は、路線上のライバルだった陳雲(ちんうん)氏(1905~95年)を含め長老との対立を避け、長老政治の頂点に立って権力を振るった。政治改革を志向、長老と対立した胡耀邦(こようほう)(1915~89年)、趙紫陽(ちょうしよう)(1919~2005年)両総書記も切り捨てた理由だ。
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, ~% y6 w* w( p7 G0 F( @ 毛沢東と違い、トウ氏は元気なうちに現役を引退、江沢民氏を総書記に指名し、92年には江氏の後釜に胡錦濤氏を内定した。両氏の使命はトウ路線の継承だ。& {; h2 ~- q- t) T+ |" n! Z
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中国ではいま、矛盾を拡大した改革・開放への反省が起こり、毛沢東賛美の声が上がる一方、政治改革や民主化要求も強まる。「トウ小平」は依然、現実政治の中心にいる。& M8 ~4 F) o% T. B; J- z5 v& o
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トウ小平氏は戦争、革命、闘争の中国現代史を生き抜いた。氏にとって人生最大の危機は、天安門事件だったろう。それは、文化大革命とは違う意味で、現代中国の矛盾の爆発であり、大きな歴史の転換点にもなった。4 e, W! l. k4 ?
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(中国総局長 伊藤正)
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■トウ小平氏(1904~97年) 四川省生まれ。若いころにフランスに留学し共産主義革命運動に参加。中華人民共和国の成立後、副首相、党中央軍事委員会主席などを歴任。生涯で3度も失脚を経験したが、そのたびに復活、78年以降は事実上の最高権力者として改革・開放政策を推進した。89年6月の天安門事件の際、民主化を求める学生らの武力弾圧を決断、国際社会の批判も浴びた。
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■4つの基本原則 (1)社会主義の道(2)プロレタリア階級独裁(3)共産党の指導(4)マルクス・レーニン主義と毛沢東思想-の4項目のことで、トウ小平氏が79年3月に堅持すべき原則として打ち出した。共産党規約や中国憲法にも明記されたトウ小平理論の核心だが、市場経済が進むにつれ社会の現実や国民の意識と乖離(かいり)、政治改革の足かせになっているとの批判もある。
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" X; u; B+ k: q8 P6 s3 B; a1 q人在德国 社区(2007/02/14 06:13) |
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孫にキスされるトウ小平氏。私生活では好々爺ぶりをみせた(1986年)
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改革・開放政策の最前線といえる広東省の深●(=土ヘンに川)市。広場にはトウ小平氏の巨大な肖 ...
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