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发表于 2007-4-21 09:57
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【トウ小平秘録】(36)第2部「南巡講話」 瀬戸際の改革
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4 F+ `! E; ]# \% v: v, [1989年7月1日、米大統領特使スコウクロフト補佐官(肩書は当時、以下同)とイーグルバーガー国務次官は、極秘裏に北京入りし、翌2日、トウ小平(しょうへい)氏と会談、李鵬(りほう)首相らとも会った後、同日夕には帰途に就いた。1 X! h9 _% G6 A T, G) Y2 |3 M. J; `
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軍が武力行使し多数の学生、市民を殺傷した天安門事件から1カ月もたっていなかった。
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' [: Z. b% N$ W米中関係の危機だった
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, E% D4 q( c5 S2 I4 Q R 前回書いたように、トウ小平氏は天安門事件から5日後の6月9日に戒厳部隊幹部と会見、健在ぶりを示した。その際の長い講話で、「反革命暴乱」(事件の当時の呼称)を制圧した軍をたたえる一方、経済建設を中心とする78年の3中総会以来の路線、方針、政策は変えないと繰り返し強調している。
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「われわれの基本的な考え方は、改革・開放を含め発展戦略から方針・政策まですべて正しい。足りないとすれば改革・開放が足りないのだ」5.35.249.64 A$ _; a9 i4 i9 N9 s z4 ~
9 ?+ a8 O' q% X# E 「基礎工業と農業を強化すること。この面での投資強化は10年から20年は堅持しなければならない。外債を借り入れるのも改革・開放だ」(6月28日付人民日報に全容掲載)8 E; Z o% j/ ]. P$ g# y8 p# H
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天安門事件直前の5月31日には保守派の李鵬、姚依林(よういりん)両政治局常務委員に対し、「(改革・開放路線の執行者だった趙紫陽(ちょうしよう)総書記が読み上げた)第13回党大会の政治報告は1字たりとも変えてはならない」と述べ、6月16日の江沢民(こうたくみん)氏ら次期指導部にも同趣旨の講話をした(「トウ小平年譜」)。
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雨が降ろうがやりが降ろうが「経済建設」。それさえうまくいけば、民心はついてくる、というのがトウ小平氏不動の信念だ。そのトウ氏にとって、最大の気がかりは、外国の投資と経済協力が得られなくなることだった。
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しかし天安門事件後の状況は芳しくなかった。「国際的大気候」(6月9日の戒厳部隊幹部との会見でトウ氏が使った表現)は、米国をリーダーとする西側陣営が圧倒的優勢で、ソ連を含め社会主義陣営には自由化の大波が襲っていた。
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( N# A/ _% y' ] B9 f その波の影響を受けた「国内の小気候」を武力で押しつぶしたことは、米国世論の猛反発を呼んだ。「暴乱」平定後、中国国内各地では、反対派の摘発と相当数の処刑が続き、その映像が米国人をさらに刺激した。人在德国 社区( a. d) ~2 M# L# E6 ^' H
1 E, q& P% q; Y- }, ]( {人在德国 社区 米中双方にとってやっかいな事件が起こったのは6月5日だった。反体制派天文物理学者の方励之(ほうれいし)夫妻と長男が北京の米大使館に駆け込み、保護されたことだ。中国側はそれを知ると、夫妻を反革命扇動罪で全国に指名手配(10日)、大使館を武装兵士が包囲し、引き渡しを要求した。
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7 O+ P" c# A8 U4 y 米側が当然拒否すると、人民日報など主要なメディアが方励之夫妻を攻撃するキャンペーンを開始、夫妻をかくまう米政府を内政干渉と批判した。中国側はさらに14日、AP通信とVOAの米人記者を国外追放処分にした。
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8 G( `, C1 n$ }% K" `! C人在德国 社区 米国内で反中世論が高まる中で、米政府は6月20日、高官交流の停止などの追加措置を発表した。
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4 d7 V8 [6 A. h7 D% Z 79年1月の国交正常化以来、米中関係が最大の危機を迎えつつあったときに、スコウクロフト特使が訪中したのだった。
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弾圧も正当化される
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外相、副首相などを歴任した銭其●(せんきしん)氏の著書「外交十記」によると、1989年7月のスコウクロフト訪中は、71年7月の電撃的なキッシンジャー訪中時よりも、厳重な秘密保持措置が取られたという。しかし、この2人の米大統領補佐官の訪中には、根本的な違いがあった。
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後者は訪中1カ月後、ニクソン大統領自身が劇的な発表をして世界を驚かせ、米国内はむろん同盟国からも高く評価された。しかし前者は89年12月にスコウクロフト氏が公に訪中した後、CNNテレビが暴露するまで、完全に秘密にされた。. u, o3 I9 h& z
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理由ははっきりしている。89年6月の天安門事件後、米世論と議会は中国非難一色になり、米政府自身も武力行使を非難し、制裁措置を発表していたからだ。ブッシュ大統領(現大統領の父親)がトウ氏に親書を送った日に、高官交流の停止も発表したばかりだった。5.35.249.641 C0 Q$ m B7 h" ^0 C+ _1 q
2 {' N T9 }/ D1 `9 A$ u4 k- ]' d8 D: M 「血の弾圧」の最高責任者であるトウ小平氏の元に特使を派遣し、妥協を求めたことが発覚すれば、大スキャンダルになったろう。それだけのリスクを承知で、ブッシュ大統領が決断したのは、72年のニクソン(大統領)訪中以来の中国との戦略的関係の重要性にあった。* X4 m' y+ }, F. y( H: R) t& h
* w/ _# J+ T) r5 k$ _4 {人在德国 社区 そのニクソン氏自身が89年10月に私人として訪中してトウ小平氏と会談した後、米国が対中関係を重視すべき理由を、こう備忘録にまとめている(王泰平氏ら編「新中国外交50年」、北京出版社)。
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0 g/ {8 m3 p2 Y9 ^! Q a (1)ソ連が中国カードを握れば米国に不利(2)核拡散防止で中国の協力が必要(3)強大で安定した中国は東アジアにおけるソ連、日本などの影響力とのバランスをとるのに有利(4)アジア太平洋地区での中国の役割の重要性(5)将来巨大になる中国市場を確保する必要性(6)21世紀に軍事大国化する中国を敵にしない(7)地球規模の環境問題などでの協力が重要-。
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これは、ニクソン氏の年来の主張であり、ブッシュ政権の対中外交に強い影響を与えてきた。5.35.249.64# f7 f" H/ e1 j# H- v3 i. Q
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理由はどうあれ、西側のリーダーである米大統領が秘密裏に妥協の余地を示したことは、西側との協力による経済建設推進へのトウ小平氏の懸念を払拭(ふっしょく)したに違いない。それだけでなく、「血の弾圧」正当化を強めさえしていく。
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/ R5 Q$ N* u% Q3 C2 j人在德国 社区 天安門事件後の情勢に影響したスコウクロフト訪中を次回も続ける。(中国総局長 伊藤正)
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2 d7 |- U) j: y( i c z■3中総会 1978年12月に開かれた共産党10期中央委員会第3回総会のこと。毛沢東のイデオロギー重視の階級闘争路線から経済建設重視の近代化路線へ転換、改革・開放の原点とされる。毛沢東時代に失脚した多数の老幹部の名誉を回復、復活させた。この総会でトウ小平氏が実権を掌握、毛沢東路線継承を主張する華国鋒党主席ら文革派指導者排除の起点になった。本文中の第13回党大会の政治報告は、3中総会路線を継承、発展させたと評価された。人在德国 社区6 K) G9 \# ^; v* i7 u, S- ?
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, l: C( T) r7 g4 `) G) ]9 w5.35.249.64●=深のさんずいを王へんに
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% N2 M7 F8 o( B7 s天安門事件直後の1989年6月8日、ホワイトハウスでの記者会見で、「中国政府が民主化運動を認めないなら、正常な米中関係には戻れない」と強調したブッシュ米大統領(当時)5 W9 J' d7 D/ x$ U
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1989年6月10日、米サンフランシスコ市庁舎前で行われた中国の民主化を支援する集会。天安門広場にあった「民主の女神」にふんした女性が登場した |
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